「難聴者」の母とのストーリー~難聴者ゆえの苦労を乗り越えて~
2025/02/08
【「難聴者」の母とのストーリー】
こんにちは、
『はじめまして!オンライン手話留学』の原田です。
今回は、「難聴者」の母とのストーリーを
ほんの少しだけお話します。
母は、いつもニコニコ笑っていて前向きで明るく
「自分の悪口を言われていたとしても聞こえないから平気!」
とプラス思考な人でした。
(私がプラス思考でいられるのは母のおかげ。ありがたいです。)
母は、手話ができません。(口話で読唇術を使いコミュニケーションが取れます)
「難聴者」と思わせないほど発語もきれいで、
補聴器も「雑音が入ってうるさいから頭が痛くなる」という理由で
つけておらず、見た目は「聴者」です。
なので、母は私の知る限り、聴者の大人たちから
例えば
「自転車で走っていると車にぶつかりそうになり、ドライバーから
”危ないやろ⁈どこ見て走ってんねん⁈」など
結構な頻度で文句を言われていました。
(母は、聞こえないので矛先はいつも一緒にいる私で
母の代わりに謝っていたこともあり、なかなか辛かったです。)
しかし、一方で私も母には迷惑をかけて
育ちました。
私が4.5歳のころに
母が運転する自転車の後部座席に乗り
お買い物へ付いて行っていたのですが
後部座席で足をぶらぶらさせていた私は
自転車の後輪に右足を挟んでしまい
大けがをしました。
母も自転車がうまくこげず、
後ろを振り返ると
私が大泣きしていた様子と
挟まれた右足が腫れ上がっているのを見て
すぐ病院へ連れて行ってくれました。
かかりつけのお医者さんは母のことを熟知していたので
「お母さんは耳が聞こえないから迷惑をかけてはいけない」など
周りの「聞こえる」大人たちに色々教えてもらうことが多かったと
感じます。
(その時の傷が今も残っていて見ると思い出してしまうので
見ないようにしています汗)
そんな母ですが。裁縫と料理が得意で
小さい頃は着れなくなった服でぬいぐるみを作ってくれたり
手編みの帽子やマフラーを作ってくれたりと
母の愛もいっぱい受けて育ちました。
しかし、私が中学に上がると
・幼少期から抱えていた「吃音症」
・「両親の耳が聞こえない」ことへのいじめ
があり、今でいうところの
「不登校」に陥ってしまい、中学2年の1年間は全く学校に行けず、
引きこもるようになりました。
それでも強制的に「学校へ行け」と言われたことは
一度もなく、母が学校へ通う毎日であったにも関わらず
家ではいつもの明るい母だったことに
逆に苦しくなっていました。
進路の時は、聾学校以外の学校に関して全くの無知だった母は
「可奈ちゃんが行きたいと思う学校を選べばいいよ。」と
ある意味、自分で進路を決めることができたことに
「不登校」からの高校進学、大学進学と
両親に盛大に祝ってもらい
今、大阪の高齢者施設に入所している母に
素直に
「聞こえないながら一生懸命ここまで私を育ててくれてありがとう」と
感謝の気持ちでブログを書きながら涙が止まりません。
父同様に
「私は母の娘で幸せ者だな」と感じます。
~母へ~
今まで精一杯頑張って母親業をしてきたのだから
余生はゆっくりマイペースに生きてください。
聴力の壁を越え、施設の入居者さんたち、スタッフの皆さんと
仲良く穏やかに笑いながら過ごしているのを見ると、
私もホッとします。
どうか長生きしてくださいね、愛する母へ。
あなたの娘より。
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